不必要な契約アンペアをカットして環境保護を行いましょう。
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
歴史の玉手箱
カルタゴは、フェニキア人が建国した海洋国家で、現在のアフリカ大陸チュニジアに位置しています。 カルタゴは、世界一の造船技術を持ち、スペイン、シチリア島などの海外領土を支配していました。紀元前3世紀、地中海貿易により富を蓄え、ローマ帝国と並ぶ強国となります。 BC264年、両者の中間にあるシシリー島で紛争がおこります。そして、これを契機にカルタゴとローマは、世界の覇権を賭けて激突します。この戦いは、23年間の中断をはさんで63年間続きます。(第一次ポエニ戦争、第二次ポエニ戦争)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1867年、島国日本は、長い眠りから覚め、明治維新により近代国家への道を目指します。 1941年12月、日本連合艦隊は、ハワイの真珠湾の奇襲に成功します。太平洋戦争が始まります。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ カルタゴの英雄ハンニバルは、象36頭と兵士5万人を率いて、スペインを出発します。象を連れて、アルプス山脈越えに成功、ローマの本拠地イタリア半島を奇襲します。ハンニバルは、イタリアに、なんと15年も踏みとどまり、ローマを一時追い詰めます。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 「マレーの虎」山下奉文中将は、マレー半島を南下、シンガポールに侵攻します。インド兵への離反策が成功し、1942年2月15日シンガポールは陥落、イギリス軍は降伏します。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ カルタゴは、地力に勝るローマに対して次第に劣勢になります。ついに、名将スキピオ率いるローマ軍が、カルタゴの本拠地に進軍します。カルタゴは、イタリアで善戦していたハンニバルを帰国させ、本土決戦に賭けます。BC202年、天下分け目の戦い(ザマの戦い)が行われます。カルタゴの完膚なき負け戦でした。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ アメリカは、生産力、技術力で日本に勝っていました。ミッドウェー海戦を境に、戦局は逆転します。ガダルカナル、硫黄島、沖縄。日本は、敗退を続けます。本土空襲が激しくなり、広島と長崎に原爆が投下されます。日本の完膚なき負け戦でした。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ カルタゴは、ローマに無条件降伏します。 全ての海外領土は、放棄され、軍船、象もローマに引き渡されます。軍隊は、自衛のためのものだけが許されました。そして、自衛のためでも戦争する場合、ローマの許可が要ることになったのです。(この許可の項目が、後に大問題となります) そして、50年賦で1万タラントの賠償金をローマに支払うことが決まります。 ともかく、カルタゴの町は、無事に残りました。100人会は、貴族の世襲制でしたが、戦後まもなく代議員が選挙で選ばれるようになります。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 「忍び難きを忍び、耐え難きを耐え・・・」玉音放送が流れ、日本は無条件降伏します。 日本列島以外の領土は、返還されます。アメリカが決めた平和憲法で戦争が放棄されます。(後に自衛隊が誕生します。)国土は焼け野原、アジア諸国には賠償金の支払いが必要でした。ともかく、本土決戦だけは避けられました。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ カルタゴ人(フェニキア人)は、ユダヤ人やアラビア商人と同じセム語族で、最も商才があるといわれている種族です。 軍事国家への野心を棄てたカルタゴ人は、ますます貿易や商売に熱中するようになります。ローマ人は、楽しむために働きましたが、カルタゴ人は働くこと自体が人生の目的でした。奇跡の経済復興が実現します。 戦勝国ローマは、休む間もなく、マケドニアやシリアと戦わなければなりません。軍備費の要らないカルタゴは、次第にローマに匹敵する経済大国に、のしあがります。 BC191年ローマは、シリアを打ち破ります。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 日本人には、勤勉さと物作りの才能がありました。 焼け原から立ち上がった日本人は、ひたすら一生懸命働くことで豊かになろうとしました。エコノミックアニマルと日本人は、陰口を叩かれます。奇跡の経済復興が実現します。 アメリカの核の傘に入り、軍事費もいりません。戦勝国アメリカは、ソ連との冷戦を戦わなくてはなりませんでした。 10%を超す高度経済成長が続きます。日本は、世界第二位の経済大国になります。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ BC187年、カルタゴは、50年賦と決められた賠償金を一括払いしたいと申し出ます。いくら叩いても不死鳥のように蘇る、カルタゴ人の経済力に、ローマ人は、羨望と恐怖心を抱きます。ポエニ戦争の悪夢がふと蘇ります。 ローマの元老院の指導者カトーが叫びます。
◆◆割れんばかりの賛同の拍手が、議場に沸き起こります。◆◆ 経済大国カルタゴの最大の悩みは、隣国のヌミディアでした。ヌミディアは、騎馬兵団で有名な、戦争に強い国です。自衛力しか持たないカルタゴを侮り、その領土を侵犯します。 カルタゴは、ローマに調停を頼みますが、黒幕のローマはもちろん取り合いません。ついに、カルタゴとヌミディアの間で戦争が起こり、平和の国カルタゴは、敗北します。 ローマの事前許可のない戦争開始は、条約違反でした。 驚いたのは、カルタゴです。ローマの許しを得ようと、300人の貴族の子供を人質に差し出します。しかし、8万人の世界最強のローマ兵が、上陸し、カルタゴに進軍します。 カルタゴの使者が、「どうすれば、許していただけるのですか?」とローマの司令官に聞きます。 「全ての武器を差し出せ。」司令官は、答えます。 カルタゴは、20万人分の鎧、投げやり、投げ矢、2000の石弓を司令官に差し出します。 すると、司令官は、最後の要求を使者に言い渡します。
使者からローマの意向を聞いた20万人のカルタゴ人は、驚愕して、嘆き悲しみ、最後に激怒します。 カルタゴ人は、丸腰で戦う覚悟を決めます。返事の猶予期間の30日間、密かに戦争準備がすすめられます。 こうして、始まったのが、第三次ポエニ戦争でした。 カルタゴは、ここで奇跡的な粘りを見せます。なんと丸腰で三年間ローマの猛攻を食い止めたのです。 しかし、戦闘と飢えと疫病で、20万人のカルタゴ市民は、10万人に減ります。 そして、ついに、ローマ兵は城壁を破り、街へ進入します。 カルタゴの街は、十数日燃えつづけ、灰は1メートル積もります。カルタゴの復活を恐れたローマ人は、この地に塩を撒き不毛の土地にします。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・ 歴史に学ばなくてはならない。 10アンペアカット運動にご協力を! 人気blogランキングへ PR |
カレンダー
フリーエリア
最新記事
(09/05)
(08/26)
(08/24)
(08/22)
(08/21)
最新TB
プロフィール
HN:
健吾
性別:
非公開
ブログ内検索
最古記事
(07/13)
(07/14)
(07/14)
(07/15)
(07/15)
アクセス解析
|